2010年10月23日

預言運動の問題を論じる (1)




現代預言運動に関する考察

                   

 アドバンスド・スクール・オブ・セオロジーを主宰しておられる先生がたから、現在、ペンテコステ派を含めた聖霊派諸教会で、一種の流行ともなっている預言運動について、私の見解を語ってほしいとの依頼を受けた。私が開拓伝道に「励んで」いる長崎県北部の「地方都市」では、僅かの例を除いて、この件で問題を感じた事はなく、ことさら考察した事もなかったが、教会の数も多く、いろいろな情報があふれている中央の都市部では、この預言運動が色々な意味で教会に影響を及ぼし、牧会上、見過ごしにできなくなっているという。



 確かに、わたしが聞き及んでいた範囲でも、預言運動には評価すべき点もある一方、憂える面も多々あり、それが盛んに実践されている地域で奉仕する牧会者たちが、これを放置しておくことはできないと考えても不思議ではない。しかし、普段、牧会活動に忙殺されている牧師たちが、じっくりと時間を取ってこの問題について考察するのは易しい事ではない。そこで、そのような牧師、あるいはこの問題に疑念を感じながら、学ぶ機会を持てないでいる教会関係者たちの代わりになって、好きな魚釣りをしばらく横に置いて、私が考えて見るのも良いだろうと、依頼をお受けした。



 したがって、この発題は深い神学的洞察や熟慮によるものではなく、極めて常識的な田舎牧師のたわごとの域を出ていない。これによって、立派な神学を提供するのではなく、むしろ、これを叩き台にしてもらうことによって、それぞれの方たちが考えるきっかけを提供しようとするものである。つまり、ここで私が語ることを散々批判し、反対意見を出し、これと思う見解を出し合うことによって、それぞれがより深い理解を持ち、より良い対応ができるようになってくだされば、目的を果たしたことになる。



 ただ、日本人は意見の違いを堂々と話し合う事が下手である。意見に反対する事を、すぐさま人間そのものに反対すること、あるいは好き嫌いの問題にすりかえてしまうのである。自分の意見に反対されると、それだけで自分の人格が否定され、傷つけられたと感じてしまうのである。今回は、そのような「日本人」をかなぐりすてて、主にあって、朗らかに、おおいに話し合っていただきたい。



I.ポストモダンと聖霊運動

 まず、この問題をよりよく理解するために、近代キリスト教とそれを取り巻いていた思想環境に、注意を向けたい。

 

 A.啓蒙思想からポストモダンへ 
 
 文芸復興を経験した近代西欧先進諸国においては、やがて啓蒙思想が広まり、合理主義が出現し、自然科学の発達と高揚に繋がって行った。また同じ流れの中に、高度に発達した資本主義が生まれ、さらに、科学主義の一つである進化論を、政治・経済・社会に適用した唯物共産主義が台頭し、実践されるに至った。特に、十九世紀から二十世紀の初頭は、まさに合理主義の世界で、自然科学に対する絶大な信頼の時代であった。人々は科学の発達を前提とした楽観主義的性善説から、人類の未来に明るい希望を抱いた。しかしこの希望は、二つの世界大戦を経験する事によって失望と幻滅にとって代わられた。そこに信頼するものを失いさまよう、ポストモダンの芽生えがあった。



 少し遅れて発展した日本においては、事情が異なっている。日本は、西欧先進諸国が自然科学と人間性に対して、失望と幻滅を味わっていたまさにそのときに、敵国であった先進諸国から輸入した民主主義と様々な支援、さらに朝鮮戦争勃発による軍需景気によって戦後の復興を体験し、やがて、奇跡と言われる成長を成し遂げたことにより、物事すべてに、いわれのない楽観的憶測を抱くようになったのである。日本においては、一般の人々の間で科学主義、あるいは人類の未来に対する楽観主義が揺らぎ始め、漠然とした不安を感じ、頼るものが存在しないことに気付き始めたのは、いわゆるバブルがはじけた、二十世紀最後の十年のことである。



 この啓蒙思想、合理主義、自然科学信仰は、キリスト教世界に対しても大きな影響を及ぼした。神学者や聖職者たちの中にさえ、合理的な考え方、自然科学を絶対視した考え方が浸透し、人間の理性に反する聖書の記述は、様々な形で否定され、クリスチャン信仰の中から排除されて行った。人間の理性が絶対化され、聖書が人間の理性のテストの対象にされたのである。結果として、創造者である神の存在は認めるが、神がその後の人類社会、自然世界に介入する事を一切認めない理神論が生まれてきた。 



 この理神論的考え方は、反啓蒙思想あるいは反啓蒙運動として捉えることができる新正統主義や、福音主義の神学の中にさえも歴然としている。新正統主義は、神を限りなく遠い存在とし、福音主義のほとんどは、聖書に記述されている奇跡は事実として認めるが、現在はそのような事はあり得ないと論じ、「福音的理神論」に陥って行った。その一方で、キリスト教信仰はますます主知的になり、神がお残しになった聖書を学び、正しく理解し、その教えを守る事が信仰であると考えられ、神学、あるいは教理が確立されて来た。強い反啓蒙主義の立場を取る福音派の中においてさえも、啓蒙思想の枠の中で神学が形成され、信仰が保たれて来たのである。



 しかし近年にいたって、徐々にではあるが、それまで確実と思われていた理性、合理主義、自然科学、あるいはそれらが作り上げてきた組織、機構というものに失望と幻滅を味わった一般世界の人々の感覚が、教会の中にも浸透してきた。それまでの、主知的神学、教理に対しておぼろげながらも、強い不満を抱くものが出現し始めたのである。教会の中のポストモダンである。



 B.反啓蒙主義的流れ 

 一般社会と教会内の啓蒙思想的流れを、すべての者が受け入れたのではない。カトリック内の静寂主義、クエーカー、スエーデンボルグに代表される神秘主義、ドイツ敬虔主義・モラビア派、メソジスト運動、ホーリネス運動、聖霊運動などが、神は今も人間と関わりを持たれる方であると理解し、日常の信仰生活への神からの直接介入を期待して、あるものは主観的神体験を重んじ、他の者は人生の目に見える変化や、癒し、奇跡といった現象を求めて来た。



 C.ペンテコステ運動 



  1.主流派  
 ペンテコステ運動は、啓蒙思想、合理主義、自然科学至上主義のまっただ中で生まれた。これは、啓蒙主義的になっていた福音派のキリスト教、すなわち人間に対する神の直接的な働きを、聖書の中に閉じ込めてしまう改革派信仰や、デイスペンセーショナル神学で使徒時代までと制限してしまうバプテスト神学などに対する、福音派内の反啓蒙運動と観ることができる。彼らは、癒しや奇跡などの超自然の現象、また主観的神体験を重んじはしたが、福音派としての確信を離れず、すなわち聖書の権威のみを絶対として、現象主義、主観的体験主義に流れなかった。また、「預言」などの「掲示」も伝統的に認められ、実践されてきたが、それは常に周辺的な事柄に留まり続けた。とはいえ、体験を重視する傾向から、聖書を体験から読む傾向、神学をあまり重視しないで現象を尊ぶ傾向があった。そのため、主観的体験や現象を極度に重要視する者たちもしばしば現れ、活動を続けることができた。しかし、彼らとその主張がペンテコステ運動主流派の中心となったことはなかった。(アッセンブリーズ・オブ・ゴッド、フオースクエアー、ペンテコスタル・ホーリネス、チャーチ・オブ・ゴッド・イン・クライスト、チャーチ・オブ・ゴッド《クリーブランド》その他)



  2. 小教団、単立系  
 初期ペンテコステ運動のひとつの特徴は、自分たちの特異な体験と主張のために、所属していた伝統的教会を追放されたことにより、「反組織」意識を強く持っていたことである。そのため、単立教会や小さな教団が乱立する結果になった。その中では、突出した才能の人物の、特異な体験や神学的主張の周辺に集まる傾向も強く、癒しや奇跡といった現象だけではなく、新しい啓示や預言といった、極めて主観的なことを売り物にし、聖書を自らの主張に都合良く解釈して、これを軽んじる傾向のものも少なからず出現した。



 D.カリスマ運動・第三の波運動 



  1. 第二バチカン会議 
 キリスト教世界でのポストモダンに拍車をかけたのが、1963年から64年に開かれた第二バチカン会議であった。この会議でカトリックの首脳部は、それまで不変不動と思われていた権威や組織、あるいは物の考え方に対して、自ら改革を持ち込む事によって、宗教的不確実性の芽生えを促した。特に、a.プロテスタントなど、非カトリックのキリスト教に対する態度の軟化、b.他宗教に対するアプローチの改善、c.聖書に対する態度と取り扱いの変化などが、ペンテコステ運動を受け入れる素地を作った。根本主義者であるペンテコステ教会は、カトリックを非キリスト教徒の集団と見做し、積極的に伝道していたのである。



  2. カリスマ運動 
 第二バチカン会議を経て、60年代後半からカトリックが、続いて非福音派のアングリカンなどが、ペンテコステ運動を受け入れ始めた。このころのカトリック教会とアングリカン教会は、ペンテコステ運動初期の福音派とは異なり、「宗教的寛容性」を一つの売り物にしていた面もあり、ペンテコステ体験をした者を破門せず、自らの教会に留め置くことができるようになっていた。そのため、ペンテコステ運動の諸教派とは別に、これらの教会の中でカリスマ運動と呼ばれる信仰刷新運動が存続し、より広いキリスト教界にも影響を及ぼす事ができた。彼らの特徴は個人的主観的体験の重視で、たとえわずかではあっても、a.自分たちの教会の権威からの離反と、b.自分たちの伝統的神学からの離反を正当化できたことであった。また、c.伝統的ペンテコステ教会とその神学をも既成の権威と見て、これに距離を置くことであった。このように、全体としてポストモダンの傾向を強く持っていたところから、単立系や小さい教団として留まっていたペンテコステ教会の組織や教えには脅威を覚えず、その主観的「聖霊体験」に共通意識を持ち、あるいは共鳴を感じ、これに歩み寄る傾向を見せた。この頃に同時進行した、ポストモダンの傾向の強いキリスト教的運動としては、ジーザス・ムーブメントがあった。一般的宗教感覚の中では、東洋の神秘主義に対する憧憬や、オカルトの流行などが挙げられる。



  3. 第三の波 
 80年代にいたって、ペンテコステ体験は、それまで強固な反ペンテコステの立場を取っていた、福音派の人々の中にも浸透し始めた。フラー神学校の教授であったP.ワグナーや、J.ウインバーが大きな役割を果たした。彼らも、基本的にはカリスマ運動の人々と同じ傾向を持ち、福音派内のポストモダンと捕らえることができる。ただカリスマ運動と異なるのは、第三の波運動が福音派の神学者たちを中心に興った運動であるため、自分たちの聖霊体験を福音派の神学の中で整理して捉えようとする傾向が強いことである。とはいえ、彼らの修めた神学には聖霊に関する分野が欠けていたため、また、伝統的ペンテコステの神学を避け、単立系のペンテコステの教えに耳を貸す、ポストモダンの傾向があるため、全体として、未だ混乱の中にいると言える。ただし、神学的考察を軽視してきたきらいのあるペンテコステ諸教会は、神学的背景を持って考えることもできる、これら第三の波系の人々が語ることにも耳を傾けて、直すべきところは直し、得るべきところは得るべきだと考える。

  4. 混沌の中の運動 
 現在の西欧キリスト教の預言運動は、このようなカリスマ運動と第三の波の運動の人々、そして伝統的ペンテコステ運動の人々と、単立系や小さな教団のペンテコステ系の人々が、混沌と入り混じった流れの中で行われている。それぞれの人物の主張と働きを注意深く見ると、大体の背景が見えてくるが、多くの場合、既成の神学と権威に捕らわれない人々の活動で、厳密な仕分けは困難である。ここに大きな歴史の流れとしての、ポストモダンの傾向を強く感じるのである。
 


 E.啓蒙思想、反啓蒙運動に関わりのない預言運動 



 ペンテコステ運動は基本的に宣教の運動であったため、その影響は宣教を通して、啓蒙思想、反啓蒙運動とは関わりのない、いわゆる第三諸国にも大きな広がりを見せた。これらの国々の特徴は、西欧諸国ほどの自然科学信仰を持たず、より強いアミニズムの世界観の中にあったことである。ペンテコステ運動はそのような文化背景の中で、パワーエンカウンタリングなどに代表される聖霊の力強い働きによって、効果的な働きを続けてきた。しかしその一方で、聖霊の働きと土地の神々あるいは種々の霊の働きとの混同、すなわち、シンクレテイズムが興ってきた。アミニズムの世界では、夢、幻、口寄せ、占い、悪魔払いなどは通常の現象であり、ペンテコステ、カリスマ、第三の波運動が、アミニズムを背景としている文化に入ることにより、本当の意味で神に起源を持たない預言、預言者が多数現れ、擬似キリスト教、擬似ペンテコステが出現してくることになり、混乱はいよいよ激しくなった。面白い現象は、現在活躍している第三の波運動の推奨者の多くが、かつては反ペンテコステの福音派に属し、このような第三世界で宣教師活動などをする内に、パワーエンカウンタリングを通して聖霊の働きを体験し、宗旨変えをしたという事である。
 

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注・ ポストモダン

 既存の権威や組織、思想や教理に対する漠然とした不安や不満、あるいは幻滅や失望を背景に、個人的な主観的体験を重んじる傾向。近代啓蒙思想、合理主義的世界観、客観的事実を重んじる自然科学に対する失望と、それを支える人間の理性に対する失望、また社会科学のひとつの到達点としての唯物共産主義や近代資本主義の犯罪性に対する失望、また、合理主義的基盤に立った既存の権威や組織、倫理、道徳などに対する反感などを共有し、ものごとに捉われない奔放な個人主義を促した。このような傾向は、かなり曖昧な形で、徐々に多くの人たちの中に浸透してきた。その考え方は「不確実性」と表現されることが多い。ポストモダンと言う言葉自体は70年代に初めて使われ、キリスト教世界では80年代後半になって用いられ始めたが、その芽生えは多くの者が楽観的科学主義に失望した第一次大戦のころからあり、第二次大戦を経て、静かにしかし確実に大きく広がり、やがてヒッピーなどの社会現象となり、現代の不確実性に繋がってきた。



          つづく






















posted by ms at 21:13| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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